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病院ブログ

私達夫婦には子供がおりませんので、いつかどちらかが一人暮らしになります。

色々想いを巡らせているときに下記のサイトを見つけました。

 

「孤独」「ぼっち」という言葉に、多くの人はネガティブな印象を持っていると思います。

しかし私は最近、孤独こそ最強の生き方ではないかと思っています。

実際、クリエイティブな人は、孤独を創造の源にしていますし、ハイパフォーマーな人たちもやはり孤独を自分のエネルギー源にしています。そして何より、孤独の中で自分と向き合うことで、自分の感情を意のままに操れるようになるからです。

 

そうなれば、不安や悩みも自己消化できるし、出来事への捉え方を変え、幸せを感じられます。

つまり心の強さを高めるには、必ず孤独の時間が必要なのです。

多くの人は、自由を求めていると思います。

では、自由とは何か?

それは、何からも誰からも制約を受けず、

自分の意のままに生きることと言えるでしょう。

何かに縛られてがんじがらめになっている状態より、

自分の好きなように生きられるほうが良いはずです。

そんな自由を得たいならば、

そこには必ず孤独がつきまといます。

 

たとえば田舎の集落で暮らせば、地元の人間関係風習にある程度従わなければなりません。

その代わり、農作物を融通しあったり、互助的な生活が送れます。

一方、都会にはそのようなしがらみはほとんどありません。

賃貸マンションや賃貸アパートに住んでいれば、隣の人を知らないし知る機会すらないと感じる人も少なくないと思います。

風習や習慣もない。だから誰にも縛られない。これは自由です。

 

ひとりはそんなに悪いことなのか?

 

便所飯」や「ランチタイム症候群」という言葉が話題になるほど、多くの人はひとりで食事するのを恐れます

いえ、実際には一人で食事をしているところを見られることを恐れているのです。

それはなぜかというと、自分の中に「孤独なのはみじめ、ひとりは寂しい」という思い込みがあるため、「自分は寂しい人間なのだと思われているのではないか」という妄想に苦しんでいるわけです。

 

孤独というのはただの状態を指す言葉です。

孤独をみじめに感じるのは、孤独そのものがみじめなわけではなく、「孤独はみじめだ」と思い込んでいる自分の固定観念が原因です。この固定概念は、社会で生きるうちになんとなく刷り込まれてきた、無意識の価値観です。

 

「人間は一人では生きていけない」などとみんなが言うから、孤独な自分を責め、人間関係に悩み、追い詰められる

そんな道徳的な主張に、多くの人は「そうだよね」と同調し、それ以上考えることをやめてしまいます。

しかし、そのような抽象的な言葉こそ、いったん立ち止まって「それ、ほんとう?」と深く考えてみる必要があります。

特に昔の人が言った言葉の中には、現代では通用しなくなっていることも多いからです。

にもかかわらず「孤独はイヤ」「寂しいからイヤ」というのは、思考停止と同義です。

 

たとえば、たしかに小さな赤ちゃんは一人では生きられません。

しかし、大人になればどうでしょうか?

一人で起きられるし、一人で着替えもできる。

一人でお風呂も入れるし、食事もできるでしょう。

 

昔は不作の年は近所で食料を融通しあう必要がありましたが、今ではスーパーコンビニに行けば簡単に手に入るので、暮らしに困ることもありません

 

仕事は一人ではできませんが、求められる成果を出せば問題ないはずで、特に濃厚な付き合いが求められているわけではありません。それに、むやみに他人を攻撃しなければ人間関係が険悪になることもなく、単に誘われないとか、会話の輪に入れないだけ。仮にそうであっても、それが何かの障害になるわけでもない

 

つまり実際には一人でも生きていけるわけで、孤独を恐れる必要はないことがわかります。

 

上記のサイトを読んで、なるほどと思いましたし、「二流は群れを好み、一流は孤独を愛する」とい言葉もありますので、決して孤独はマイナスイメージでもありませんね。高校の卒業アルバムの寄せ書きに「どんなに悲しくても、どんなにさみしくても、どんなに苦しくても私のそばには神様がいて下さる。」と書いてくださった先生がおられましたが、大学時代、友達に受けましたね。

 

2017年10月10日   院長 藤田泰志