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病院ブログ

ある密教僧のブログを見つけました。やはり高齢になると死についての考えが巡ります。

 

人間は、生物であり、自然の一部ですから、生があれば必ず死が訪れます。そして、不思議なことに死の予知というか予感が必ずございます。

死が近づいてくると、なぜか無性に寂しくなるのです。自分でもなぜこんなに寂しいのか思いあたる理由もないのに、とても寂しくなります。

私は、今まで多くの人の死に立ち会ってきました。間もなく亡くなるだろうという人に何度もお会いしています。

亡くなる一ヶ月くらい前から盛んに寂しい、誰か会いに来て欲しい。と言いはじめることが多いのであります。 

死を間近にしたときの寂しさは、心の奥底から染み出してくる寂しさなのです。永遠に肉親や友達に会えなくなるような寂しさです。地中の中に引きずり込まれていくような、そのようなつかみどころのない寂寥感といえるでしょうか。寂しいということをいいはじめたら、もう長くはないと思います。

 

死が近い人は、魂が自分の寿命が尽きることを感じて、会いたい人に暇乞いに行かれることもよくあるのです。

他にも死の兆候はこんなものがあります。疎遠になっていた友人に無性に会いたくなるとか、今までしたことのなかったことを突然し始めるのも兆候の一つです。これは、長患いの末、というより突然亡くなるケースによく見られます。

たとえば、今まで料理などしなかったご主人が頼みもしないのに料理を作って出した。

折り合いの悪いお嫁さんに、今までプレゼントをしたことがないのに、お世話になったと言葉を添えてプレゼントしたなど。これは実際にあった話でありますが、その三日後、交通事故であっけなく亡くなってしまったそうです。

 

そういえば私事ですが、長兄と同居していた気丈な母が皆働きに出て誰もいなくなったら、すぐ姉に電話して「寂しい、寂しい」と言ってたのを思い出しますが、当時はこんな事知りませんでしたので、もう少し何かしてやれたのかなと思うと残念です。私の兄は一昨年の1月に急逝しましたが、前年の12月に電話してきて、「皆集まった時の正月の挨拶をお前にしてほしい。」と初めて言ってきましたが、後から考えると、不思議な事でした。

 

 

       元年 7月10日  顧問  藤田泰志