さくらねこ動物病院は、殺処分ゼロ、不幸な猫ゼロを目指す地域猫活動を応援しています!
rss

件数:2

ダニング=クルーガー効果

「能力の低い人ほど根拠のない自信に満ちている」「知識や技能が低い人ほど自己評価が高い」という説があります。

 

未熟な、能力の低い人が、自らの容姿や発言や行動などを、実際よりも高く評価してしまう認知バイアス。自己の「愚かしさ」を認識する、メタ認知(公正かつ冷静な振り返り)が出来ない事で生じる。これをダニングクルーガー効果というらしい。見渡せば周りに必ずいるはずですよ。

 

ダニングが行ったひとつの調査は、物理、生物、政治、地理の4つの領域で使用される概念について、知っているかどうかを調査対象者に尋ねるものだった。

そこには「求心力」「光子」といった本物の概念に混じって、「視差板」「超脂質」などのデタラメな概念も9個含まれていたが、約90%の人がその架空の概念のうち、少なくともひとつを知っている、聞いたことがあると回答したという。

それも、一般的に物知りであるという自己評価の高い人ほど、架空の概念を知っていると答える傾向があった研究論文では、ある特定のスキルに関して、能力のない人は、「自らのスキルの欠如」、「他者の本物のスキル」、「自らのスキル不足の程度」が認識出来ないと言う。

これは、ある意味当然である。例を挙げれば自分が文法をどの程度知っているかを認識するには、その文法に精通している必要があり、能力のない人にはそもそもそれが無いので、自分の能力も客観的に判断出来ないのは、誰でも分かるだろう。

しかし、驚くべき事に能力がない事で人はうろたえたり困惑したりせず、むしろ不適当な程の自信に満ちあふれていると言う。

また、テストで不可や落第点を取る大学生は自分の答案はもっと高い点数に値すると考える傾向があり、また実力の劣るチェスやブリッジのプレーヤー、医学生、そして運転免許証の更新に臨む高齢者ほど、自分の力を過大評価する事も分かった。

論文著者は、こうした現象は無知というより、誤った情報や知識に起因すると考えるようになったと言う。

 

どんな人間も万能ではない。多かれ少なかれ、誰もが何かの領域では能力が劣り、自分をメタ認知できず、過大評価してしまうワナに陥る可能性がある。

情報過多の現代社会において、こうしたダニング=クルーガー効果の罠に陥らない為には、どうすれば良いか?ダニングは、

  1. 常に自分の中に、「あえて反論するもう一人の自分」を持つこと
  2. 自分は間違っていないかを自問すること
  3. 知らないことは「知らない」と認めること
  4. 失敗は成功への道筋だと知ること

と述べている。

 

周りにいる自信に満ちた人の立ち居振る舞いの真贋を見極める眼力を身につけないと、簡単に性善説の立場をとることが出来ないですね。

日本には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と言う諺があります。(稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になり、小人物ほど尊大に振る舞うものだということ。)これが真贋を見極めるフィルターになるのかもしれないですね。

 

2017年4月10日  院長 藤田泰志

『3年目を迎えることが出来ました!』

今年の4月で「さくらねこ動物病院」も開院から2年を経過し、3年目を迎えることが出来ました。

                  

私にとってこの季節は感慨をもって迎え、1年の節目に人生階段の踊り場に立って、来し方を振り返る大切な時空です。                                                                     

このところの忙しさに追いまくられ、じっくり振り返ることも無く過ぎる時間の合間に、あるいは慣れた手術の最中に思いつくことを書き連ね、哲学者を倣って発信を重ねるブログも、好々爺の楽しい日常として皆さんに読んで貰えるのが、私の密かな喜びの一つです。    

                      

一年の大方を報告いたしますと、不妊去勢手術を施した「さくらねこ」の数は、ますます増加傾向で、このところは鹿児島、沖縄を除く九州全土から、更には山口からも依頼が届くあり様で、感謝の極みであります。

 

人のもつ倫理観と善意の気持ちを汲むほどに背中を押されて、あっちこっちが痛い、きついと言いながらも老体を労わりながらお世話になった恩返しをと、社会貢献に務めています。一方で枯れてもよさそうな手術技術は、熟達の埋没法と予後ケアが冴え、「匠」に近づくような錯覚と自己満足を覚える程で・・・・・老骨に鞭打って、いま少しお役立ちを続けたいと思います。

                                  

年齢を重ねるにつれ、誰と一緒に、何処で時間を過ごすかということの重要さが身に沁みて分かるようになります。

一緒にいると嫌な思いをする人と長い時間を過ごせば気がめいるし、自己嫌悪に陥ったりもします。

そしてその気分は、その人と別れた後まで残ったりもします。

一緒にいるべきでない人と近い間柄でいなくてはならないのは、長年の知り合いだから、幼なじみだから、などの他に、うまくやっていくのが難しい相手だと分かったときには、すでに友達になっていて、でも、罪悪感があって突き放せないといった義務感があったりするのです。

 

時に、批判されたり、必要としていないアドバイスを貰ったりして、気分を沈ませてしまいます。

いくら長年の知り合いでも家族でも、嫌な気分にさせられる人たちとは距離を置いて構わない、と言い切れる年代になりました。

 

 

話は変わりますが、ゲノム解析から分かってきたことで、ネコと人の関わりの初めは、人は、ネコを飼うことで穀物を食い荒らすネズミを退治することができ、ネコを喜んで迎えるようになった。

そしておそらく、人はネコに対して報酬としてエサを与える行動をとってきたのではないかと考えると、人によるこうした行為を通じて単独行動を好んできたネコは、人と一緒に生活をするようになったのでしょう。

そして時代の経過につれて従順なネコを選別し続け、更に人の都合であれこれとお節介も重ねているのです。

共存という麗しい言葉で折り合いのつく世界を求めて・・・・・・。       

ネコの行動を観察しながら思う・・・・・。

自分と他人の間に境界線を引く方法を知り、自分を大切にする生き方ができる今は、ある種の幸せを解放感とともに楽しんでいられます。

 

私たちは、誰かが一緒にいてくれた方が、一人でいるよりましだと思ってしまう。

でも、どう考えてもそれは真実ではないと思ってしまいます。

一人でいる時間があっても良いはずで、読書をしたり、ゆっくりお風呂に入ったり、運動をしたり、瞑想をしたり、ネコと遊んだり、何でも一人でしたいことをすれば良いと思います。

自分のための貴重な時間を持ちましょう。

その上で、自分が一緒に過ごすべきだと思う相手に対しては、気持ちを向けて生きることが幸せだと思う・・・・

それが「さくらねこ」への思いであるように。                                                    

 

 

平成29年4月1日 さくらねこ動物病院 院長  藤田泰志