さくらねこ動物病院は、殺処分ゼロ、不幸な猫ゼロを目指す地域猫活動を応援しています!
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さくらねこ動物病院は九州で初めてのどうぶつ基金さんの協賛病院になりました!

「さくらねこ動物病院」は九州で初めてのどうぶつ基金さんの協賛病院になりました!

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〜殺処分ゼロの世界を目指して〜

 


私は戦争を知らない世代ですが、今年は戦後70年という節目に当たります。

家族から戦争の悲惨さと同時に、色々と戦時中の裏の部分も聞かされました。

 

戦時中、父は衛生兵(小さい時からそう聞いていました)だったので、

余り偉くなかったのだと思っていました。 現役引退後に姉から聞いた話ですが、

実は父は鹿児島の鹿屋の特攻隊に配属されていたそうですが、母が心配して

軍の上層部にいた親戚に依頼して衛生兵にしてもらったそうで、

衛生兵なら海外派兵は無かったそうです。

 

母は、戦時中長崎の波佐見に居てもどうしようもないのと、

親が口うるさかったので「長崎まで映画見に行ってくる」と噓を言って

兄、姉を連れて中国の大連まで船に乗って行ったそうで、波佐見では

行方不明と大騒ぎになったそうです。

そのうち中国から手紙が来てやっと所在がわかったそうですが、

中国でも軍のコネで石炭の販売、うどん屋、など手掛けてお手伝いさんも

何人もいて大成功したそうです。

 

そのうち豚丹毒という病気になり、当時は抗生剤も無く、三日三晩高熱で

意識不明となり危篤状態になりましたが、母は熱心な真言宗の信者でしたので、

夢枕に弘法大師様が出てこられて、「今度は助けてやる、それと余りある程の

大金を稼げるようにしてやるので、世の中の為に役立てなさい。」と言われ

熱が急に下がったそうです。

 

 

その後も大連で成功したのですが、敗戦で財産をすべて皆に分け与えて帰国

したそうで、石炭その他も軍に無償で与えたので、最後まで母と子供、祖母を

守ってくれたそうです。

それから帰国して数年後に私が生まれましたが、あの時父が特攻隊のまま

だったら、母が大連で亡くなっていたら、私は生まれてこなかったですね。

 

これだけ見ると、私は運が良いと思いがちですが、確かに子供の頃は

裕福でした。 しかし、親が商売の舵取りを間違えて、私が大学1年の時に

倒産して親戚からは私を大学にやるなどとんでもないと罵倒されたりした

そうですが、母はがんとして認めなかったそうで、私も苦学してやっと卒業

しましたが、その後貧乏のどん底でした。

 

銀行から土地、家の競売通知、闇金からの取り立てと精神的に追い詰め

られたのですが、父母は強かったですね!!

色々な経過をとり、父が65歳の時に夫婦で商売の再出発をしましたが、

その後も楽な事はありませんでした。

 

私はいろんな人に助けられ高宮で開業できましたが、ずば抜けた能力も

無いので、人より余分に働くことで帳尻を合わせられると思い、

年中無休で仕事をして、無事現役引退出来ました。

 

 

結局、神様、仏様はその人の能力以上の苦労は負わせないのだなと、

痛感しました。もしその苦労に打ち負かされたら、その人の努力不足なのだろうと。

 

国が滅んでも、教育さえ受けてれば世界中どこでも通用するというのが

母のポリシーでしたので、救われたのだと思います。

あの時、大学を中退させられていたら、野良ネコさんたちの不妊手術も

出来なかっただろうし、今どんな人生を歩んでいただろう。

 

院長  藤田泰志