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死んでもともと

死んでもともと

 

 

今から30数年前の若かりし頃、「人間は何故不公平なのだろう。」と思い悩む日がありました。その時鎌倉にある禅宗寺院報国寺の住職。(出版当時)   臨済宗建長寺派の禅僧でゴルフ、野球、ボウリングなど趣味も多彩で破天荒な和尚さんの著書「死んでもともと」という本に巡り会いました。

その時のうろ覚えの文章を抜粋して書いてみます。

 

人間は何のために生きるのですか?(自殺願望の女の子より。)

お前さん!人間は何の為に生きるかって言ったって、 人間はそもそも生まれて来る時に、意識して考えて生まれて来た者はないよ。 何の為にでもなく、生まされて来たというべきかな。 生まれて来たのだから、生きて行くんだよ。 そして生きて行くだけで即、それが「」でもあるんだよ。 あんたが生きて行くことが、両親始め大勢の人の支えになっているんだよ。 あんたが死ねば、社会的に大なり小なりの穴があくのだよ。 そのポッカリ開いた穴を誰かがふさがねばならないんだよ

 

死んだらどうなるの?極楽浄土へ行けるのですか?

わしも死んだ事がないからわからん。

 

ある講演会で

お婆さんたちよ、直きに死ぬのだから、やりたいことをやれ!」と絶叫したことがある。聞いた人も唖然としていたが、数分後に万雷の如き拍手が起こった。皆さんも、「俺は直きに死ぬ、直きに死ぬ」とお念仏のように常に唱えて暮らすことだ。そうすれば、下らないことにかまけておられなくなる。死にきった人は物を欲しがらない、死にきった人は物を正しく見る、死にきった人はこわがらない、死にきった人は物に動じない。大死一番、大活現前して、無碍にして自在な生活ができる。

 

悩める若者に

自分がいかにあるべきかということを、他人に尋ねる馬鹿があるか、 自分のことは自分で処理しろ。

自分で地獄を作り、鬼をつくり、自分で落ちこんで苦しむものなのだ。 自分さえ本当の自己にめざめて救われれば、他人も一切のものが救われるということだ。 あの人がいなくなれば私は幸せになる。 あの人があんなことをいわなければ私は幸せになる、などと想うことが間違いで、 あの人ではない、他人ではない、まず自分自身が目覚めねばならない。

因果応報、原因があるから結果がある。蒔かぬ種は生えないのだ。 釈迦の最後の言葉は、「依頼心を捨てて、自らを灯明とせよ」であった。 人に頼ることなく、自分に頼ればいい。

結局、「人生とは自分が自分を生かすことである。」 

 

禅について 

誰しも一度は死ぬ。一度死んだら二度死ぬことはない。それだったら、今のうちに死んでおこう。そうすれば、あとは気楽だ。死んでいる者に生死はない。こういうことは、一通り修業をした者なら、誰も体得することであるから不思議なものだ。

とっくみあいの喧嘩をしても負けないのが禅だ。地獄へ行っても、鬼どもを投げ飛ばして、家来にしてこき使うのが禅である。神も仏もあるものか。勝手気ままにやりたい放題のことをして、戦って戦い抜いて悔いのない一生を過ごすんだという意気に燃えるのが禅である。

地獄に行っても鬼どもを投げ飛ばして家来にしてこき使う。まさに破天荒な禅の解釈で、驚嘆したのを覚えています。

 

令和 元年 9月10日 顧問 藤田泰志