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日 光 療 法

人類は、太古の時代から太陽を神と崇めた古代の日光療法

 

太陽は人間の歴史が始まって以来、全能のシンボルとして崇拝されていました。まだ人知の開けていなかった古代社会において、既に人々は太陽光線には健康になる保健作用や病気を治す治療効果があると信じて積極的に利用しています。もちろん今日のように科学に基礎を置いたものではありませんが、理論がなくとも実際の効果を重んじたのでしょう。

 

紀元前2000年頃の第五王朝時代、エジプト人は太陽神「ラー」を信仰し、国王をはじめ盛んに日光浴や日光療法を行ったことが古代遺跡から明らかにされました。エジプトでは王を「ファラオ」と呼びますが、「太陽の子」という意味です。 古代ギリシャでは、3000年以上前に太陽光線を治療用の光源として利用して日光療法を行った記録が残されています。また当時の人々は日光浴場で全裸になり全身の日光浴を好んでいました。なお古代ギリシャのオリンピック競技は日光の下、裸で争われました。体操をGymnasticsと言うのは「裸の技術」に由来します。当時の彫刻を見ても体格が優れているのは当然うなづけます。 インドの聖典ベーダによれば、既に紀元前1400年頃のインドで紫外線に対する感受性を高めるソラーレンを使って白斑の治療を行ないました。これは現在のPUVA(プバ)療法です。

 

古代ローマでは、浴場に必ず日光浴室を作りました。また「太陽は最善の薬である」「太陽の来ない家には医者が来る」という諺があります。 日本では、太陽を「大日如来」または「お天道様」と呼んで信仰の対象にしました。また、人は日の神「天照大神」の子孫と信じられ、男は日子「彦」女は日女「姫」と呼びました。私たちの先祖が今より遥かに太陽光線に親しんで暮らしたことは確かです。 古代ではすべての人々が素直に太陽光線の恩恵を信じ、太陽光線を利用した日光療法は人類最古の治療法となるのです。

 

現代医学の祖とされる医聖ヒポクラテス(紀元前460年生)は、日光療法を本格的に治療に取り入れた健康大寺院をギリシャのコス島に建立し、日光療法を本格的に医療の場に取り入れて意欲的にその効果について検討し、次のことを述べています。 「日光の光と熱は、すべての創傷、骨折、破傷風等に効果がある」「筋肉の強壮をするには日光浴が絶対必要である。しかも春夏秋冬必ずその直射を受けなければならない」「脂肪性の肥満した人は、できるだけ裸で歩き回るのが良い」 その後も多くの医師が日光療法についての記述を残しています。

 

如何なる患者もなるべく日光に当たるようにすべきである。傷は新しい古いにかかわらず日光に当たるのが良い。寝たきりの患者も、できるだけ日光に当てなければならない」「患者に日光浴をさせれば、内臓の分泌作用が高まり、発汗を増し、筋肉を強くし、脂肪の蓄積を防ぎ、腫瘍を縮小し、浮腫を減らす。また呼吸は深く活発になるから肺は強くなる

 

現代ほど紫外線の害を唱えて、太陽を忌み嫌う風潮が最大限になった時代は無いと思います。何事もメリット、デメリットがあり、ベストなものはありません。非科学的という人もいますが、日向ぼっこしている猫たちを見てると、絶対メリットがあると思います。私も健康には気を付けている方で、高齢になって骨粗しょう症になるのは嫌だなと思い、カルシウムはサプリで20数年取りましたし、骨には豆腐が良いというので30年位、摂取し続けました。それが6月末に胸椎の圧迫骨折を起こして、ほぼ回復に向かっていますが、過去に日に当たりすぎると、白内障、皮膚がん、になるというデメリットを信じたばかりにあまり、日に当たりませんでした。やはり、いくらカルシウムを摂取しても、太陽に浴びることで産生されるビタミンDが不足して、骨密度が低下して圧迫骨折を起こしました。私の子供の頃は夏に日焼けしてれば、風邪をひかないとよく親に言われてましたが、これは本当だったと思いますし、太陽光を見直したほうが良いと思います。

 

次回は現代での日光浴の効果を科学的に検証してみます。

 

30年10月10日  院長 藤田泰志

無 功 徳(むくどく)

無功徳という禅語は、禅宗の初祖とも称される菩提達磨(ぼだい・だるま)の言葉である。 南インドの香至国(こうしこく)という国の第3王子として生まれた達磨は、やがて出家をして僧となった。そして後年、仏法を説き広めるためにインドを発って中国へと向かう。 苦難の末に中国にたどりついた達磨は、梁(りょう)の武帝(ぶてい)と会って仏法について話を交わすのだが、その時の会話のなかで達磨が口にしたのが、この無功徳という一語。

武帝は仏心天子と呼ばれるほど厚く仏教に帰依していた皇帝であった。多くの寺院を建立し、多くの経文を写させて複製し、自ら『涅槃経(ねはんぎょう)』という経典について講義をするほどの見識も持ち合わせていたという。

だから武帝は達磨と出会った際、こう問いかけた。

「私はこれまでに多くの仏塔を建立し、経文を写し、多くの人を僧侶にしてきた。ほかにも沢山のことをした。これら仏教のためになる行いをしてきたことに対し、どのような功徳があるだろうか?」 武帝にしてみれば、自分ほど仏教のために尽力した人間はいないという自負があったに違いない。だから、さぞかし素晴らしい功徳がもたらされるものと思い、達磨に問いかけたのだ。 しかしこの問いに対する達磨の答えは、まったく武帝の意に反するものだった。

無功徳」 つまり、達磨は「何の功徳もない」と言い放ったのである。

「なにっ!? 何の功徳もないだと! なぜだ?」 「寺を建てる。経典を写す。僧侶として出家させる。それらの行いによって功徳を得ようとするのは、世俗の成果を求めているにすぎないからです」 「では、貴僧のいう功徳とは何なのだ!?」 「損得にかかわることのない浄らかなものです」

 

なぜ無功徳なのか

何か善いことをして、その見返りに何かを得たとする。 善いことをした功徳は、その得たもの、あるいはそれを得ることを指すかといえば、そうとは限らない。 たとえば人助けをしたのなら、助かった人が現にいる。助かった、という結果がすでに1つの功徳であるし、助けられた人が感謝の思いを抱くことも、大きな功徳になるだろう。 助けた人物に返ってくるものが功徳のすべてなのではない。 その行為によって生じた諸々、それら生じたすべてのものが功徳の結果であり、功徳そのものでもあるのだ。 武帝は寺院を建立したり写経をした行為の見返りのような意味合いで、特別な功徳が自分の身に与えられるのではと思ったのかもしれないが、そうではないことを達磨は伝えたのであった。

 

動物愛護にしても、同じような事が言えるのではないでしょうか。純粋に野良猫さんの子供を救って、新しい飼い主を見つけてやるのが功徳であって、その後他人様からの称賛を得るか得ないかは、関係ないと思います。

他人様からの称賛が目的であり、野良猫さんの子供を救うのが手段だったら、悲しいことである。

先日、行方不明になった子供さんを発見した、ボランティアの尾畠さんの座右の銘は、以前ブログにも書いた「かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め」だそうで実に素晴らしいです。

 

30年 9月 10日    院長 藤田 泰志

 

肥満と脳の関係

 

様々な統計から、肥満と脳の容積には、相関関係があるらしいと言う事が解りました。

 

1) 脳はいつまでも成長し続ける

 

大人になってから勉強をしても、もう脳の発達は止まっているし、無駄なのではないか。そう考えたことのある人もいるかもしれませんが、実はそんなことはありません。脳のあらゆる細胞は、年齢に応じて右肩下がりで減っていきます。

しかし、いつも新しい細胞を生み出している場所があります。それが「海馬です。

海馬は首の裏側あたりの、ちょっと奥まったところにある小指ほどの大きさの器官です。私たちの記憶を担当しています。

 

従来、脳細胞は、生まれたときをピークに減り続けていくと考えられていたのですが、最新の脳医学研究から、 「海馬だけは、脳細胞を新しく生み出している」ということがわかりました。

大人であっても、脳(海馬)の細胞は日々、新生されているのです。ですから私たち大人に求められる脳との「付き合い方」は、今ある脳の老化を防ぎ、成長を促すことだとわかります。

たとえば子どもと睡眠に関する調査では、睡眠不足はそれだけで、子どもの海馬を萎縮させることが明らかとなりました。

また、690人の男性と、738人の女性を対象とした調査では、男性の肥満が海馬の体積に悪影響を与えている」ということがわかりました(女性の肥満においては、そこまでの関連性は読み取ることができませんでした)。

男性の皆さんは「太ると脳に悪い」ということを覚えておきましょう。

 

2)「勉強好き」な人の脳は老化しにくい

 

勉強好きな人の脳は、なかなか老けることがありません。約400人を対象に8年間にわたって行った私たちの調査では、「知的好奇心」の高い人ほど、認知機能を担当する「側頭頭頂部」の萎縮が少ないことがわかっています。

知的好奇心」とは、知りたい、学びたい、達成したいといった気持ちのことです。

勉強、仕事、ボランティア、趣味などにイキイキと取り組んでいる人ほど、脳は若く保たれていたのです。「脳」への栄養は、知的好奇心なのです。

 

やはり、男性にとっては高齢になっても、仕事が大事なことはよく理解されたと思います。特に知的好奇心こそ、脳の衰えを遅らせますので、パソコン、スマホは苦手と言わないで、使うようにしましょう、そうすれば世界と通じ合い、いろんな興味が湧いてくると思います。

 

30年8月10日   院長   藤田泰志

 

 

リーキーガット症候群

  リーキーガット症候群」とは、腸粘膜を構成する細胞に穴が開き、体にとって有害な物質が入り込むために様々な症状が起こる病気です。リーキーガット症候群は英語でLeaky Gut Syndromeと表記され、文字通り、漏れやすい(Leaky)腸(Gut)の状態を指します。したがって、リーキーガット症候群は、英語名を略したLGSや腸管壁浸漏症候群(ちょうかんへきしんろうしょうこうぐん)、腸漏れと呼ばれることがあります。健康な腸では食べ物や空気に交じった病原菌など、体にとって害のあるものを体内に入れないよう腸の粘膜細胞が排除しています。しかし、リーキーガット症候群では、腸の粘膜が壊れて穴だらけになっているため、体にとって有害な物質が体内に侵入してしまいます。本来であれば排除されるはずの異物が体内に侵入すると、その異物に全身が反応して、重い病気や精神に関わる症状が出始めます。

 

リーキーガット症候群が起こる原因

例えば、PCB(ポリ塩化ビフェニル)や農薬、水銀といった化学物質は、腸の粘膜細胞や「細胞同士が密着した結合(=タイトジャンクション)」を破壊することが知られています。同様に、病気の治療で使われる抗生物質や胃酸の分泌を抑える薬を使用した場合でも、リーキーガット症候群が生じます。また、小麦粉に含まれるグルテンと呼ばれるタンパク質が腸の粘膜を覆う腸管上皮細胞(ちょうかんじょうひさいぼう)を破壊し、腸漏れを加速させることが文献から示されています。この他にも、リーキーガット症候群を招く原因として、ストレス、加工食品に含まれる添加物、寄生虫、 鎮痛剤、アルコール、カフェインなどがあります。

 

リーキーガット症候群の身体的症状

リーキーガット症候群になると腸の粘膜が破壊されてしまうために、腸では正常な消化・吸収活動ができなくなります。その結果、十分な栄養素を取り込むことができず、細胞の機能が低下して、全身の健康に害を及ぼすようになります。リーキーガット症候群によって引き起こされる身体的症状としては、・食物アレルギー・アトピー・花粉症・リウマチ・消化不良・膨満感・下痢・便秘・炎症性腸疾患・肥満・関節炎・肝機能障害・高コレステロール血症・糖尿病・多発性硬化症・慢性疲労症候群などがあります。

 

腸のバリア機能が壊れると心の不調が生じる

リーキーガット症候群になると副腎(ふくじん)と呼ばれる臓器で、コルチゾールやアドレナリン(エピネフリン)、ノルアドレナリン(ノルエピネフリン)などのホルモンが大量に作られます。こうしたホルモンは外部からのストレスに対抗したり、腸の粘膜が破壊されたことで生じた炎症を抑えたりする際に使われます。

このようなストレスホルモンの中で、特にコルチゾールが長期間にわたって作られると副腎に大きな負担がかかります。その結果、副腎が疲れ切ってその機能が低下し、コルチゾールを作ることができなくなってしまいます。このような状態では、ストレスに対処するのが困難になってしまいます。すると、人によってはうつ、パニック、恐怖、強い不安感など、メンタルに深刻な影響が出るようになります。そのため、リーキーガット症候群でアドレナリンとノルアドレナリンが過剰に分泌されて、常に交感神経が優位になると、性格が攻撃的になったり、強い不安や恐怖を感じたり、暴力的になったり、イライラしたりするようになります。その一方で、このアドレナリンとノルアドレナリンが休みなく作られると、ますます副腎は消耗し、最終的にこの2つのホルモンを作り出すことができなくなってしまう状況になります。アドレナリンとノルアドレナリンが作られなくなって不足すると、気分が激しく落ち込んだり、喜びの感情がなくなったり、やる気が低下したりするなど、うつ病に似た精神症状が出ることがあります。

 

リーキーガット症候群の精神的症状

リーキーガット症候群によって引き起こされる精神的症状には・不眠・イライラ、怒り・うつ病・自律神経失調症・不安神経症・統合失調症・集中力低下・喪失感・自殺願望・パニック障害・アルツハイマー病・パーキンソン病・自閉症・ADHDなど

 

リーキーガット症候群を改善する方法

リーキーガット症候群を改善するには、この病気を発症させている原因と取り除くことが大切です。そのためには、なるべくストレスを減らすように心がけ、農薬や殺虫剤などの化学物質を使わない生活に切り替えます。リーキーガット症候群を根本的に治療するためには、上記に示した方法以外に、「何を食べるか」と「何を食べないか」を考えることが、治療を進める上で重要になります。

 

(1)グルテンとカゼインを避ける

小麦粉に含まれるグルテンは、腸の細胞を傷つけます。また、グルテンは腸内細菌に住むカンジダが増える原因にもなります。カンジダが増えると、腸の粘膜細胞が破壊されてしまいます。そこで、リーキーガット症候群の人ではグルテンを含んだパスタやパン、菓子、調味料などをなるべく控えるようにしましょう。また、グルテンの他に、牛乳やヨーグルト、チーズに含まれるカゼインというタンパク質が炎症を引き起こして、腸の細胞を壊すことが知られています。つまり、カゼインもリーキーガット症候群の原因になります。

(2)炎症を抑える栄養素を摂る

リーキーガット症候群の人では、体内で炎症が起きています。そのため、炎症をしずめる栄養素を摂取することで、リーキーガット症候群が軽減されます。オメガ3系脂肪酸には、EPA(エイコサペンタエン酸)とDHA(ドコサヘキサエン酸)があります。EPAとDHAは腸の炎症を抑えるほかに、傷ついた腸粘膜を修復する働きがあります。EPAとDHAはイワシやサンマ、ブリなどの青魚をはじめ、マグロやウナギに豊富に含まれています。

(3)グルタミンを積極的に補給する

グルタミンは大豆、海藻類、肉、魚、卵、アーモンド、トマトなどの食品に多く含まれています。しかし、グルタミンは熱を加えると性質が変化してしまうため、魚は刺身で食べ、海藻やトマトなどは野菜サラダとして食べるのが良いとされています。

(4)善玉菌を増やす食品群を摂る 

腸内には100兆個から1,000兆個の腸内細菌が住んでいると考えられています。こうした腸内細菌で善玉菌、悪玉菌、日和見菌が適切なバランスで存在していると、健康な体を築くことができます。善玉菌を増やす食品には、納豆、ぬか漬け、味噌などがあります。こうした食品には、善玉菌の1種ある乳酸菌(にゅうさんきん)やビフィズス菌が豊富に含まれています。このほかに、善玉菌のエサとなる食物繊維を摂るのも有益です。大豆やアーモンド、おから、あずき、グリンピースなどに、食物繊維が豊富に含まれています。

 

 

私もハチミツ ヤセ菌で検索してリーキーガット症候群にたどり着きましたが、この疾患に7割くらいの人が該当すると統計上に出ていたのには驚愕しました。まさに医食同源と昔の人は気づいていたのですね。終戦後にアメリカから無償で小麦粉が輸入され、小学校では脱脂粉乳とともに給食がパンになりました。アメリカの深謀遠慮的な発想で、小麦粉にはグルテンが入っていて分解過程でアヘン様物質に変換し、無性にパンを食べたくなる様になりパン食が主流になり、アメリカから小麦が大量に輸入されています。それと体質によりリーキーガット症候群が蔓延して、アトピー、花粉症などのアレルギー性疾患が増加しましたが、小麦粉食品と相関関係があると思うのは私の穿った見方でしょうか?

 

30年7月10日  院長 藤田 泰志

 

 

腹八分で医者いらず。腹六分目で老いを忘れる。腹4分目で神に近づく。

 水野南北先生は、江戸時代中期に活躍していた観相家で、日本の人相・手相占いの元祖とされている運命学者で、浪速の相聖」と謳われ、「日本相法の中祖」と敬称されています。

水野南北先生の著書『南北相法』は占い師のバイブルであり、 占い師を目指す者は必ず読む必要があるとされている本です。

 

水野南北先生は、主食は麦飯で、一日に麦一合五勺と決め、副食は一汁一菜で、米や餅を一切口にせず、お酒は一日一合までとし、生涯粗食で過ごされていたそうです。

水野南北先生は、食の慎しみ方で人相と運命が変わると強調しています。 人を占う場合は、必ずその人の食事の内容を詳細に聞いていたそうです。

少食にすれば腸相が良くなります。

腸相が良くなれば人相が良くなります。

人相が良くなれば運命が好転します。

水野南北先生の人相と食事の関連を見抜いた慧眼には感心させられます。

 

善相で良運で健康的でも、美味贅沢や淫色肉食をしていれば、次第に貧窮短命となります。

 悪相で凶運で病弱でも、一飯一菜を心掛けて節食していれば、次第に富貴延命となります。

世間にはあらゆる成功哲学や自己啓発が溢れていますが、人間の運命の根底にあるのは食の節制です。

食を厳しく節制する事によって、健康、立身、出世、蓄財、幸福、長寿のすべて得られるのです。

 

仏教には「不殺生」という教えがありますし、 旧約聖書には「汝殺すなかれ」という言葉があります。 東洋哲学では、人間が沢山食べると、間違いなく罰が当たるという思想があります。 食べるという事は、他の動物や植物の命を奪うという事です。 つまり、沢山食べる人は沢山の命を奪っているという事です。 自然界には、必要以上に食べ過ぎる事には罰が与えられるという仕組みが存在しています。 それが食べ過ぎる人には病気や早死にがもたらされるという事ではないかと考えられます。

 

私も若い頃カーネギーの信念の魔術、成功哲学など読みましたが、食で運命を変えるというのは初めてです。人間の寿命が尽きるのは一生のうちに食べる量が決まっていて、その量に達した時に起きるという説もありますが、友人知人の内で早死にしたのは確かに肥満体でしたね。

 

今年になってから、星野仙一、衣笠祥雄と有名野球人が鬼籍に入られたが、昭和が無くなっていくような気がして寂しくなります。

 

30年 6月 10日  院長 藤田 泰志

財徳    運命逆転の法則

世界では、億万長者が、毎日何百、何千という単位で誕生しているといわれています。

その反面、お金には縁のない人、お金が身につかない人、金運の全くない人もいることでしょう。

金運がない・・・一体何が原因なのでしょう。

大した苦労もせずに次から次へと金運に恵まれる、努力したことが必ず報われる、そうして得た金銭は必ず身につき増えてゆく。 そんな人は、前世で多くの人に施しをしてきた人といえます。しかし、その前世において自分にいくらお金があっても施しをしなかった。 困っている人を見ても知らぬそぶりで自分だけが裕福な暮らししてきた。た、それほど裕福な暮らしぶりでなくてもやろうと思えばそれなりに出来たのに施しをしなかった。 こうした人は、今世でお金が身につかない、金運がない人生を送ることになるわけです。 このような金銭による施しを『財徳』といいます。

 

金運のない人はどうすれば金運を得ることができるのでしょう?

一番の近道は、金運のない人、金回りが悪い人ほど、お金を寄付するとか、お金に苦しんでいる人、お金を必要としている人(例えば災害地・被災地などへの募金)などを助ける良き事に活用することです。

善用に施しをすることを『財施』といい、こうした財施をしない人は、いつまでも金運に見放された人生から抜け出すことは難しいといえるでしょう。

”私には、そんな人に施しをするような余裕はどこにもない・・・、”

人に施すくらいなら自分で使ってしまったほうがマシ・・・

と言っていては、ますます財徳を積むことが出来ず、貧乏なままの人生で終わってしまうことでしょう。つまり金銭の施し(財施)をすることによって、そのお金で人を幸せに出来喜んでもらえ、その分(人を幸せにした分)初めて自分の喜び幸せに変える事が出来、金運がUPされるのです。 『貧乏な人ほど施しをする』これが金運を呼び込む”運命逆転の法則”といえます。

 

お釈迦様の素晴らしい教えの中に、「托鉢」があります。

托鉢とは、笠をかぶったお坊さんが、家々を廻ったりあるいは道路の脇に立ち、手に鉢をもってその中にお布施を頂くという行為のことです。 お釈迦様は、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。

お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさい!」と。

弟子たちは、驚きました。「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?

これまで私は、托鉢とは僧侶が自らの糧を得るために、信心の布施を頂戴する修行だと思っていました。 しかし、これにはもっともっと深い意味があったようなのですお釈迦様は、弟子たちに、こう言ったそうです。

 

貧しい人たちというのは、今まで自分が貧しいと思って、他人に対して施しをしてこなかった人たちである。それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。

 

托鉢に金額は関係ありません。 貧しさから抜け出す最初の一歩は、布施(寄付)をしたり、他人が喜ぶことのために、お金を使うことなのかも。

ボランティアをするなら、衣食住が安定してからとか、お金に恵まれない人はお布施をしなさいとか色々な説があって人生は難解なものです。

しかし、不遇な時は誰でもありますが、自棄にならないでその時が来るまで、「身体を鍛えるとか本をたくさん読め」と言われた将棋の故芹沢九段の言葉は真実だと思います。

 

30年5月10日  院長 藤田泰志

メサイア・コンプレックス

困っている人を救いたい」「人類の幸せのために尽くしたい」というように、「人の役に立ちたい」と思う気持ちは、とても尊いですよね。でも、その動機の裏に抑圧された欲求や感情があると、ちょっとやっかいなのです。

 

メサイア・コンプレックス」という言葉をご存知ですか?

メサイア」とはメシア、つまり救世主のことです。自分で自分を救い、愛することができないのに、世のため人のために尽くすことにこだわることを、「メサイア・コンプレックス」といいます。

メサイア・コンプレックス」によって人を援助すると、やっかいなことがあります。それは、理想と違う現実に出くわすと、志半ばで投げ出してしまう人が多いことです。

たとえば、高邁な理想を掲げてボランティアに志願しても、「仕事がキツい」「メンバーが気に入らない」と文句を言って、すぐに帰ってしまう人が少なくないのです。

メサイア・コンプレックスの人の心の底には、現実逃避や現状不満、劣等感があるため、その反動で過度な理想主義に走る傾向があります。しかし、実際には悩める人が渦巻く現場では、理想どころか過酷な現実を突きつけられることばかりでしょう。そのため、つらい現実に落胆し、そこからも逃げ出したくなってしまうのです。

 

こういう人は、「やさしさ」によって人の役に立ちたいと思っているわけではありません。

自分や現実を変えたいから」「自信をつけたいから」「感謝されたいから」「自分が救われたい」という、自己中心的な動機が先に立っているのです。

しかし、悩める人に必要なのは、自尊などを超えた「まごころ」から生じる援助です。自己中心的な動機による援助は、対人関係や状況に振り回されやすく不安定です。

では、「まごころ」による援助は、どうしたらできるようになるのでしょうか?

 

マズローは、人間の欲求は「自己実現」へと向かい、それが満たされてはじめて「自己超越」に至る、と説いています。それにはまず、生理的欲求や安全、愛情などの低次元の欲求が満たされている必要があります。

 

これらの低次欲求が満たされると、次に「認められたい、尊敬されたい」という自尊欲求が生まれます。

これも満足できて、はじめて「自分らしく生きたい」「自分を生かしたい」という自己実現欲求が生まれるとマズローは言います。

そして、自己実現できた人が最後に至るのが「自己超越」である、と説いています。

人類救済への情熱は、自己実現ができたのちに自然に湧いてくるものだと考えられています。

マズローの欲求段階説には賛否両論ありますが、納得できる部分も大いにあります。

つまり、「親身になって人の援助をするには、まず自分が満たされていることが大事」ということです。

 

ただし、それは必ずしも社会的な成功を意味するわけではありません。

愛情に囲まれて安心できる暮らしをし、無理せずに自分らしい生き方ができていても、自己実現を果たしているといえるでしょう。

すべては「自分の心」が決めるのです。

あなたの場合はどうでしょうか?まず以下のポイントを見直してみてください。

 

  • 食べるもの、住む家に困らず、安全な暮らしができているか
  • 自分を愛してくれる人、自分も愛せる人が身近にいるか
  • 職場や地域社会、サークルなどに満足しているか
  • 努力や自分らしさを認められ、ほめられているか
  • 求めていた生き方が見つかっているか
  • 自分らしい人生を送れているか

 

このように、自分が満たされれば、自然に「人の役に立ちたい」「世の中のことを考えたい」という気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。

 

開業したばかりの動物病院は、まだ収入が不安定で、ボランティアどころの話ではないので、野良猫さんに低料金で診察したいのですが、経営上難しいのです。

ある程度衣食住の安定が出来てくると「さくらねこ動物病院」みたいな形式の低料金システムの動物病院も成り立つようになるのです。市井の猫ボランティアの方々も上記の6条件が満たされてから、外猫の世話をしないと自分も他人も不幸になってしまいますので、無理しないようにしましょう。過去に外猫の不妊手術、治療などを個人で過剰にされていた方で、自己破産された方を若干名存じておりますが、本当に本末転倒です。

 

昨今、世間を騒がしている「多頭飼育崩壊」というのは、メサイアコンプレックを持っている人の対象が人から猫に向かった時に生じていると思われてならない。

 

30年 4月 10日  院長  藤田泰志

山より大きなイノシシは出ない

山より大きな猪は出ない」という諺があります。

これの元は仏教が教えるところであるが、表面的には、「自分に出てくるどのような試練も、すべて自分が乗り越えられる程度の試練を仏さまはお出しになるのだ。」ということだが、さらに深い意味があるようだ。

 

まず、目の前に出てきた問題から逃げずに、一つ一つ取り組んで解決していけば、それだけ自分が成長できるワケです。

ところが、問題を解決せずに逃げていると、また別の問題が出てきて、それからもまた逃げるとしたら、また別の問題が出てくるというように、自分はまったく成長できないのに問題ばかりが山積みになってしまう。

そうなると、肉体的・精神的に破綻をきたすような状況に陥ってしまい、最悪の事態を招いてしまうことも起こりえる(殺人やら自殺やら・・)。

最悪とまではいかずとも、さまざまな事態を招く状況を作る原因はどこにあるかといえば、問題に原因があるのでも他人に原因があるのでもなく、キビシイようだが、結局のところ、問題をほったらかしにしている自分に一切の責任があるのだ、ということになる。

山より大きな猪は出ない」という諺には、どうやら上記のような意味も暗に含まれているようである。

ならば、どうすればよいか。

 

1.とにかく問題に立ち向かって努力し、解決する。

しかし、手段を間違うと、問題が大きくなる可能性もある。この場合は間違っていたと気付く(認める)ことが大事であり、それによって、新たな手段を見出せることもある。

それでもムズカシそうだったら・・・

2.経験豊かな他人に相談し、アドバイスを仰ぎ、解決する。

経験豊かな他人が近くにいなかったら、著書やネットなどからよさそうな情報を集めることも有効な手段である。つまりこの場合、著書やネットが「経験豊かな他人」に相当するワケである。

 

いずれにしても「山より大きな猪は出ない」わけだから、自分に出てくる問題で解決できない問題は決して出てこないということを肝に銘じることが大事であると思われます。 そして「なぜ自分ばかりがこんな目に遭うんだ?」と思っては決してならない、ということである。

仏様から試練が出されると言う事は仏さまから選ばれた人間であると思って生きていくと逞しくなれるのかな?

 

30年   3月 10日  院長  藤田 泰志

原因と結果の法則

すべての出来事には原因と結果があり、

いい結果は良い原因により創られる。

原因と結果の法則」というジェームズ・アレンの本をご存知の方は多いと思います。

この本は自己啓発書の原点と言われていますが大切な事だけをまとめたシンプルな本です。

現実で起こっている事のすべては、原因と結果であると言う事で、それを複雑にしているのはあなたの頭です。

 

ジェームズ・アレンの原因と結果の法則では

「自分こそが自分の人生の創り手である。」

という言葉が出てきます。

あなたが誰かに人生を壊される事も、

人生をめちゃくちゃにされることもありません。

もしそんな事があるのであれば、それはあなたの中に何かしら原因があるからです。

もしあなたが誰かに「人生をめちゃくちゃにされた

人生を壊された」と考えるのであれば、

れらの考えはあなたにもっと悪いことを引き寄せる「」となるでしょう。

 

もしも、あなたが「不幸な事」「物事のマイナス面ばかり見る癖ついてしまっているのであれば

自分の心を洗わない聖者は、聖者ではありませんというアレンの言葉通りあなたはあなた自身の心を洗う事をしていかなくてはいけません。

 

何か不幸な事が起こっても、それをどう捉えるかで、

その後の人生が変わると言う事です。

それがあなたの現実を、人生を、より良いものとしてくれるでしょう。

 

 

結論としてジェームズ・アレンは、

よきにつけ悪きにつけ心の中の「思い」が

原因となり、環境や健康と病気、

成功や失敗、富や貧困、喜びや悲しみといった結果を

もたらすとしている。また、成功するには、

気高い夢を見て目標をもち、

単に成功したいと思うだけではなく、

欲望を犠牲にし「自分はそれを達成できる」という信念をもって努力をしなければならないとしている。

 

 

私事ですが、大学に入学した年に実家が倒産して不幸が訪れ、10年位は経済的にも大変な時期があり、

半ば投げやりな時期もあり、嫉妬、怨念に支配され、

人間が出来てないものですから、親を恨んだ時期もありました。

しかし、櫻木 健古さんの本を読んでいると

その人の能力以上の災難は来ない」と書いてあり、

そうか私は試練を乗り越えられる」と確信しました。

当時は実家も競売になり、家財道具も差し押さえられ、

今ではいい社会勉強をしたと思っています。

 

30年 2月 10日    院長 藤田泰志

 

人生の岐路に立った時

人は、重大な人生の岐路に立たされた時に、いろんな進むべき道があったとしたら、一番安全な道を歩みたがるものである。けっして、困難で過酷で危険な道は選ばないものである。

そして、自分がクリアーしやすい道を選んでしまうことだろう。ところが、こういう安易な道を選ぶと、不思議なもので最悪な結果になりやすいものである。

特に、複雑な人間関係を克服しなくちゃならないというような道を選ばずに避けてしまうと、益々人間関係がこじれてしまうものである。

つまり、嫌な縁を避けるような道を選ぶと、上手く行かないことが多いのだ。そして、不思議なことに、さらに嫌な縁とつながってしまうのである。

 

実はそんな経験を自分も、恥ずかしながらも沢山積んできたのである。仕事においても家庭においても、そして地域活動の場合も、同じような失敗を沢山積み重ねてきたのだ。面倒くさい方法や自分にとって辛くて大変なプロセスを嫌がり、安易な方法を選択した時ほど、大変な失敗をしてしまったのだ。または、自分の評価や大きな利益を優先して、進む道を選択した時ほど、大きな失敗をして、深く後悔している。さらには、縁というものをないがしろにして、関係性を無視したような選択をした時も、結果として不幸な目に遭ってきたのです。

 

人生の過程において、過酷で困難な岐路を選ぶことは、勇気のいることである。

困難な道のほうが、やがては成功するだろうとおぼろげに解っていても、やはり安易で楽な道をついつい選んでしまうのが常であろう。例えば登山をする時に、ロープウェイやリフトを使う簡易な登山道と、自分の足だけで大変な労苦と時間を要する登山道のどちらかを選ぶ際、たいていはロープウェイが使える登山道を選ぶであろう。しかし自分の足だけで登る登山道を選び、また、鎖場や岩場が続く登山道を好んで選択したら、結果として山頂に立った時の充実感が違うと思います。汗をかきかき苦労して登り切った時の達成感は、安易な道の数倍も感じられることでしょう。

人生においても、苦労して達成した結果は、自分に大きな喜びを与えてくれるだろうし、多大な自己成長も実現させてくれるに違いない。

私も引退して2年程ゆっくりさせて貰っていましたが、働いていないと先ず曜日が解らなくなってきます。それから社会と断絶して疎外感が心に湧いてきて憂鬱な気分になってきます。

 

猫の愛護団体さんからもう一度野良猫の不妊手術をしてもらえないでしょうかという話があった時に1日だけ夫婦で相談してさくらねこ動物病院を開院することに決めました。年金生活でストレスもなく食べていけるのですが、映画夢の香りの中でのアルパチーノの言葉で人生の岐路に立った時どちらが正しいかすぐ解かった!!でもその道は選ばなかった。何故ならその道はhardである。という言葉を思い出して、ストレスがかかる今を選びました。お陰で、曜日が解らないことも無くなったし、疎外感から解放されました。

 

今後は体力、気力と相談しながら、できる限り社会貢献をしていきたいと考えています。

 

 

 30年1月10日  院長 藤田 泰志