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最後だとわかっていたなら

あなたが眠りにつくのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは もっとちゃんとカバーをかけて

神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう 。

 

あなたがドアを出て行くのを見るのが 最後だとわかっていたら わたしは あなたを抱きしめて キスをして

そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう 。

 

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが 最後だとわかっていたら

わたしは その一部始終をビデオにとって 毎日繰り返し見ただろう 。

 

あなたは言わなくても わかってくれていたかもしれないけれど 最後だとわかっていたなら

一言だけでもいい・・・「あなたを愛してる」と わたしは 伝えただろう 。

 

たしかにいつも明日はやってくる でも、もしそれがわたしの勘違いで

今日で全てが終わるのだとしたら、 わたしは 今日 どんなにあなたを愛しているか 伝えたい 。

 

そして わたしたちは 忘れないようにしたい 。

 

若い人にも 年老いた人にも 明日は誰にも約束されていないのだということを 。

 

愛する人を抱きしめられるのは 今日が最後になるかもしれないことを。

 

 

この詩はノーマ・コ―ネット・マレックの「最後だとわかっていたら(Tomorrow Never Comes)」から抜粋したもので、1989年に10歳で亡くなった息子サムエルに捧げた詩です。

禅宗に『而今(にこん)』という禅語があります、命の真実は『』にしかないことを説いた言葉です。私たちは『』この瞬間にしか生きることはできません。昨日の自分はすでに死んでいるのと同じ。明日生きているという保証もないのです。であるからこそ、『』という時期を大切に生きることが大事なのです。「最後だとわかっていたら」はまさにこの事を詠った詩なのですね。

高齢になり、朝目覚めた時に、「今日も生きていて良かった」と思うのは私だけでしょうか?

 

令和元年10月10日 顧問 藤田 泰志

死んでもともと

 

 

今から30数年前の若かりし頃、「人間は何故不公平なのだろう。」と思い悩む日がありました。その時鎌倉にある禅宗寺院報国寺の住職。(出版当時)   臨済宗建長寺派の禅僧でゴルフ、野球、ボウリングなど趣味も多彩で破天荒な和尚さんの著書「死んでもともと」という本に巡り会いました。

その時のうろ覚えの文章を抜粋して書いてみます。

 

人間は何のために生きるのですか?(自殺願望の女の子より。)

お前さん!人間は何の為に生きるかって言ったって、 人間はそもそも生まれて来る時に、意識して考えて生まれて来た者はないよ。 何の為にでもなく、生まされて来たというべきかな。 生まれて来たのだから、生きて行くんだよ。 そして生きて行くだけで即、それが「」でもあるんだよ。 あんたが生きて行くことが、両親始め大勢の人の支えになっているんだよ。 あんたが死ねば、社会的に大なり小なりの穴があくのだよ。 そのポッカリ開いた穴を誰かがふさがねばならないんだよ

 

死んだらどうなるの?極楽浄土へ行けるのですか?

わしも死んだ事がないからわからん。

 

ある講演会で

お婆さんたちよ、直きに死ぬのだから、やりたいことをやれ!」と絶叫したことがある。聞いた人も唖然としていたが、数分後に万雷の如き拍手が起こった。皆さんも、「俺は直きに死ぬ、直きに死ぬ」とお念仏のように常に唱えて暮らすことだ。そうすれば、下らないことにかまけておられなくなる。死にきった人は物を欲しがらない、死にきった人は物を正しく見る、死にきった人はこわがらない、死にきった人は物に動じない。大死一番、大活現前して、無碍にして自在な生活ができる。

 

悩める若者に

自分がいかにあるべきかということを、他人に尋ねる馬鹿があるか、 自分のことは自分で処理しろ。

自分で地獄を作り、鬼をつくり、自分で落ちこんで苦しむものなのだ。 自分さえ本当の自己にめざめて救われれば、他人も一切のものが救われるということだ。 あの人がいなくなれば私は幸せになる。 あの人があんなことをいわなければ私は幸せになる、などと想うことが間違いで、 あの人ではない、他人ではない、まず自分自身が目覚めねばならない。

因果応報、原因があるから結果がある。蒔かぬ種は生えないのだ。 釈迦の最後の言葉は、「依頼心を捨てて、自らを灯明とせよ」であった。 人に頼ることなく、自分に頼ればいい。

結局、「人生とは自分が自分を生かすことである。」 

 

禅について 

誰しも一度は死ぬ。一度死んだら二度死ぬことはない。それだったら、今のうちに死んでおこう。そうすれば、あとは気楽だ。死んでいる者に生死はない。こういうことは、一通り修業をした者なら、誰も体得することであるから不思議なものだ。

とっくみあいの喧嘩をしても負けないのが禅だ。地獄へ行っても、鬼どもを投げ飛ばして、家来にしてこき使うのが禅である。神も仏もあるものか。勝手気ままにやりたい放題のことをして、戦って戦い抜いて悔いのない一生を過ごすんだという意気に燃えるのが禅である。

地獄に行っても鬼どもを投げ飛ばして家来にしてこき使う。まさに破天荒な禅の解釈で、驚嘆したのを覚えています。

 

令和 元年 9月10日 顧問 藤田泰志

自己愛と隣人愛

あなたのまわりにボランティアに参加されている方、もしくはボランティアに参加された経験がありますか?

ボランティアは以前に比べて、かなり身近になってきました。 自然災害が発生したときに被災した人へ食事を提供したり、復旧活動に参加するといった緊急かつ、大規模なものがある一方、日常の生活のなかで、お年寄りの話し相手になったり、子供たちに読み聞かせをしたりといった、身近なものもあります。

ボランティアはとても素晴らしいことです。 しかしボランティアにも「自己愛」が潜む可能性があります。

「なぜボランティアをするのか」という動機が大切なのです。

あなたがボランティアをしたとき、なぜしたのかを思い出してください。

 

困っている人を助けたかった。

自分ができることを役立てたかった。

気がついていたら、やっていた。

いいですね。素晴しいです。 まさに「隣人愛」です。

 

自分が良いことをしているのを人に見てもらいたかった。

野良猫のためにと言いながら、野良猫の世話をして褒められたかった。

これらの動機は「自己愛」と思われますね。

なぜなら、ボランティアを通して、自己利益を求めているからです。

 

では、こんな経験はありませんか?  

手を差し伸べたのに「ありがとう」と言ってくれなかった人がいて、腹がたった。寂しかった。

ボランティアの経験をほかの人に話したが、反応が薄く、興味を持ってもらえなくて、残念だった。

もしこれらの感情が湧いてしまったのなら、残念ながらそのボランティアは「自己愛」で行ったことになります。 ボランティアは「無償の愛」で行うものであって、そもそも感謝してもらうことを期待してはいけません。もし感謝してもらえたら、それは想定外の喜びです。

そして、ボランティアは人に共感してもらうために行うためのものではありません。自分が突き動かされて行うものです。また、その行為を人に話すべきではありません。

自己愛」は本当に私たちの身近に潜んでいて、「隣人愛」の仮面をかぶっていることすらあるのです。

 

 

令和元年 8月 10日  顧問 藤田 泰志

人間には死の予感があるらしい。

ある密教僧のブログを見つけました。やはり高齢になると死についての考えが巡ります。

 

人間は、生物であり、自然の一部ですから、生があれば必ず死が訪れます。そして、不思議なことに死の予知というか予感が必ずございます。

死が近づいてくると、なぜか無性に寂しくなるのです。自分でもなぜこんなに寂しいのか思いあたる理由もないのに、とても寂しくなります。

私は、今まで多くの人の死に立ち会ってきました。間もなく亡くなるだろうという人に何度もお会いしています。

亡くなる一ヶ月くらい前から盛んに寂しい、誰か会いに来て欲しい。と言いはじめることが多いのであります。 

死を間近にしたときの寂しさは、心の奥底から染み出してくる寂しさなのです。永遠に肉親や友達に会えなくなるような寂しさです。地中の中に引きずり込まれていくような、そのようなつかみどころのない寂寥感といえるでしょうか。寂しいということをいいはじめたら、もう長くはないと思います。

 

死が近い人は、魂が自分の寿命が尽きることを感じて、会いたい人に暇乞いに行かれることもよくあるのです。

他にも死の兆候はこんなものがあります。疎遠になっていた友人に無性に会いたくなるとか、今までしたことのなかったことを突然し始めるのも兆候の一つです。これは、長患いの末、というより突然亡くなるケースによく見られます。

たとえば、今まで料理などしなかったご主人が頼みもしないのに料理を作って出した。

折り合いの悪いお嫁さんに、今までプレゼントをしたことがないのに、お世話になったと言葉を添えてプレゼントしたなど。これは実際にあった話でありますが、その三日後、交通事故であっけなく亡くなってしまったそうです。

 

そういえば私事ですが、長兄と同居していた気丈な母が皆働きに出て誰もいなくなったら、すぐ姉に電話して「寂しい、寂しい」と言ってたのを思い出しますが、当時はこんな事知りませんでしたので、もう少し何かしてやれたのかなと思うと残念です。私の兄は一昨年の1月に急逝しましたが、前年の12月に電話してきて、「皆集まった時の正月の挨拶をお前にしてほしい。」と初めて言ってきましたが、後から考えると、不思議な事でした。

 

 

       元年 7月10日  顧問  藤田泰志

 

 

考えさせられる問題

ノルウェーの病院に勤務していたビルギッタ・カレスタッドさんは2月、友人たちと休暇で訪れていたフィリピンでオートバイに乗っていた際、道端で「寄る辺のない」子犬を発見、助けてあげたのに亡くなりました。

カレスタッドさんの遺族は9日、「ビルギッタは子犬をかごの中に入れて連れ帰った。体を洗ってあげ、世話をすると、うれしいことに子犬は回復し始めた。滞在先のリゾート施設の庭で子犬と一緒に遊んでいた」と説明。「その後しばらくすると、子犬は他の子犬がそうするように、ビルギッタたちをかもうとし始め、一緒に遊んでいる最中に彼女たちの指をかんだ」と述べた。

 

カレスタッドさんは帰国後、体調を崩し、自身が勤める病院で集中治療を受けた。だが6日夜、この病院でカレスタッドさんは息を引き取ったという。 遺族によると、カレスタッドさんと友人らのグループは誰も狂犬病の予防ワクチンを接種していなかった。 遺族はまた、「私たちの愛するビルギッタは動物が大好きだった。私たちが恐れていることは、ビルギッタのような優しい心を持つ人に、こうしたことが起こり得ることだ」と話している。

 

私も小学校の時に道徳の時間で「困った人がいたら、助けてあげなさい。」「お年寄りには親切にしてあげなさい。」と耳にタコができるくらい聞きました。もし、カレスタッドさんが、動物嫌いだったらこういう結果にはならなかったと思いますが、子犬を助けてあげたのは正しいと思います。

しかし、彼女はフィリピンが狂犬病発生地域と言う事を知らずに狂犬病のワクチンを打っていなかった事が敗因でしたが、こういう事は別の件でも日常茶飯事に起きています。

例えば「友達がお金に困っているから、信用して保証人になったら蒸発して不良債権となり競売で家を売らざるを得なかった。」「他人の子供が溺れていたので、飛び込んで助けに行ったら、そのまま行方不明になった」「野良猫が寒そうにしていたので家に入れてやったら、ドンドン増えて多頭飼育崩壊に至った

笑い話ですが「おじいさんが道に迷っていたので、若い女の子が親切に案内したら、ナンパされた。」というのもありました。

これらは、すべて良い事をされたのだと思います。しかし、決断するのに何かが足りなかったような気がするのは私だけでしょうか?

 

君子危うきに近寄らず」という諺があります。立派な人物は危ないところに近づかないということを言っています。教養高い人格者は言動を慎むもので、自ら危ないところに近づいて災いを招くようなことはしないのです。君子でなくても、見るからに危ないところへ近づきたがる人は、それほど多くありません。君子が君子たる所以は、「普通の人にはわからない危険を察知できる」ところです。

君子たるものは、「いかなる時も感情や欲望に流されず、冷静に後先や周囲を見通す洞察力と的確な判断力を発揮できる」ことが期待されます。君子が持つべき資質である指導力の源泉を表したものが、「君子危うきに近寄らず」です。

 

果たして私もそれが実践できるでしょうか?と言われると自信がありませんね。

 

 

令和元年 6月10日 顧問  藤田 泰志

 

デキる人は「自分の目標を言わない」

令和元年を迎えおめでたいですね、私も昭和、平成、令和と生かされて感謝しております。昭和から平成に変わった時はパソコンもなく、煩わしい事はなかったのですが、今回は煩わしく次回ワクチン予定日等を、例えば平成31年5月を令和元年5月と表示させたいのでマイクロソフトに電話してやっとできるようになりました。西暦で表示させるのは簡単なのですがね。。。。さくらねこ動物病院のソフトはエクセルで出来たフリーソフトですから、作者と連絡したりして細かい点は自分でしないといけませんので、認知症予防に最適です。

 

さて、脳科学者の茂木健一郎氏は「できる人」と、「できない人」を比較したときに、見分けるための1つの指標になることがあるとおっしゃっている。

できる人」の特徴。それはずばり、自分の目標をやたらと人に言わないこと。

逆に言えば、「私はこれを目指しています」「ぼくはこんなことをしたい」「私はダイエットして5kℊ痩せます」と言い続けている人は、結果が出ていないことが多いのである。

 

なぜ、「できる人」と「できない人」の間に差が生まれるのか? これは学生さんや若い社会人に多いのだけれども、どうやら、目標を言うことで、すでに「脳が錯覚して満足してしまっている」ようなのだ。しばしば、「ぼくはビッグになります」と言う人がいるけれども、そのような人が実際にビッグになったのを見たことがない。

逆に、何も言わずにコツコツと努力をしている人は、しばらく会わない間に大きく成長して、「大化け」していることもある。

個人だけではない、会社のような組織も、やたらと目標を掲げるよりは、静かにそして地道に仕事をしているほうが、結果として伸びている。

大きなことを言わずに頑張るのは、日本人の美徳のように思っている人たちもいるかもしれない。一方、アメリカには大言壮語する人が多いという印象もあるかもしれないが、実際にはそうではない。

例えば、今や世間で熱い注目を浴びる「ビットコイン」などの仮想通貨の元となった「ブロックチェーン」技術の考え方は、ネット上に「サトシ・ナカモト」の名前でいきなり発表された。

グーグルをはじめとする企業による自動運転技術の開発も、「こういうものを作ります」とPRするよりは、出来上がったものを突然動画で公開するのが主流のスタイルになっている。

テクノロジーは、「作ります」と言っていても仕方がない。実装して初めて価値がわかる。最先端の技術に関わる人たちの間では、「目標」をあれこれと言うのはダサく、とにかく作り、公開してナンボという風潮があるようだ。

できる人」になりたかったら、目標はぐっとのみ込んで、胸の中で温めておくのがいいらしい。

 

   令和元年 5月 10日  顧問 藤田泰志

 

老 少 不 定(ろうしょうふじょう)

ある裕福な商人が、孫ができたお祝いに、何か目出度い言葉を書いて欲しい、家宝にするからと、一休禅師のもとを訪れました。

こころよく引き受けた一休禅師の書いた言葉は、「親死ぬ、子死ぬ、孫死ぬ」という言葉でした。目出度い言葉をお願いした商人は、カンカンに怒って、「死ぬとはどうゆうことだ」と一休禅師を問いただします。すると一休禅師は「では、あなたは、孫死ぬ、子死ぬ、親死ぬの方がいいのですか」と聞き返したそうです。ますます怒って帰ろうとする商人に、一休禅師は続けて「親が死に、子が死に、孫が死ぬ。これほど目出度いことがあろうか、これが逆になったらどうする」と、さとしたそうです。

 

現実、順番通りに死ぬことができるかどうかわかりません。世の中には子供の葬式を出してやらなければならなかった人もいます。それこそ孫を見送らなければならなかった人もいます。そもそも、この順番というもの事態が、最初から無いのです。

順番通りにいかなかった時に、その遺族は不幸という考えも、死を不幸な事として捉えていることに問題があるのです。家族や最愛の人が亡くなるということは、大きな悲しみです。しかし、死とはごく自然なことであり、生きているということは、必ず死んでいかなければならないということなのです。

 

 だからこそ、今生きている人生を精一杯生き抜いて欲しいという願いが、一休禅師の言葉の中に込められていたのだと思います。私達は、生きている時間に対してあまりにも無頓着で、死をまるで遠い未来の事ように思って生きていませんか。本当にめでたいのは、今私が生きているこの一瞬一瞬。それに気付くことができるのが、仏法との出会いだそうです。

 

動物においても、「親より子供が先に亡くなった」という言葉を飼い主さんからかなり聞きましたが、「中には生まれてすぐ亡くなる子もいるのですよ」と慰めてきました。それでも悲しいのが動物の死ですよね。「老少不定」と言う諺を噛みしめて頑張るしかしかありませんね。

 

2019年 4月 10日  顧問 藤田 泰志

六方拝 毎日に感謝

【六方拝】ってご存知でしょうか。お釈迦様が提唱した、すべてのものに感謝をするということです。

六方拝は方角ごとに感謝すべき人・モノが変わってきます。

へ向かって 両親・先祖・子孫へ感謝

西へ向かって 家族・夫婦・親戚へ感謝

へ向かって 先生・師匠・許せない人へ感謝

へ向かって 友人・同僚へ感謝

へ向かって 太陽・月・すべての自然に感謝

へ向かって 動物・植物に感謝

 

【許せない人】へも感謝するの?と思われた方もいるのではないでしょうか。六方拝の趣旨は【すべてに感謝する】ということにあります。人を許せない時にもっている感情は、どちらかというとネガティブなものではないでしょうか。この感情を穏やかな方へ変えることで、あなたの人生が好転し始めます。今は許せないと思っていても、毎日この行為をすることでいつの間にか感情が変わってきていることに気が付くはずです。

 

六方拝をすることで、「感謝の心の習慣化」をすることができます。毎朝起きた後、寝る前など決めて行ってみましょう。時間は3分程度で済みます。感謝を毎日することで、心が軽やかになり日常でも「ありがとう」と感謝の言葉が増えたり、感謝する出来事が増えていきます。いつのまにか、色々なことへ感謝できる自分へと変化していけるのです。感謝が増えると不安や恐怖が軽減され、自分自身を満たすことが出来るようになっていきます。感性がUPするので、人間関係などもスムーズに進み、心軽やかに毎日を過ごしていけます。

 

私もしたり顔でブログを書いていますけど、若い時は理不尽な事に対しては、大いに怒りました。特に日本の政治家、社会に対して怒るのが若者の特権と思っていました。しかしながら、高齢になり、怒ると血圧が上がり、夜も寝付けなかったり、ネガティブな思考にさいなまれる様になり、そこで怒るより、感謝した方が、心の平静が保たれる事が、理解できるようになりました。「人を呪わば穴二つ」と言う諺もありますので、感謝しなさいとお釈迦様は言ってらっしゃるのです。

 

2019年 3月 10日  顧問  藤田 泰志

 

 

軟酥の法(なんそのほう)

 

現代は科学万能で物質文明が合理主義と相まって進化を極めるかのように思われていましたが、人間の精神面でどうにもならない問題に直面しているのではないでしょうか。

本来は健康で幸福であるべき多くの人がストレスやノイローゼなどの精神障害で苦しんでいるのが現状です。

イメージ療法で多くの人に知られているものとして「シュルツの自律訓練法」があります。

これは「腕や脚が重くなるあるいは温かくなる」「心臓が静かに規則正しく打っている」「呼吸が楽だ」「みぞおちが温かい」「額が涼しい」といった六段階の公式を順番に自己催眠法で自分に言い聞かせて、ストレスをとり除く心身の健康法として多くの実績を上げています。

しかし白隠禅師は、これよりも二百年も昔に、「軟酥の法(なんそのほう)」というイメージ療法を創案していたのです。

 

  • 軟酥の法とは、内観法と同じく、自己暗示によって潜在意識を変えさせる精神療法である。
  • 卵ぐらいの大きさの軟酥の丸薬を頭上に乗せたとイメージする(酥とはバターのこと)。
  • 丸薬が頭上から足の裏まで流れ込んでくると想像する。
  • 方法
  • 軟酥丸は、清い色をして、よい香りがする実に素晴らしい丸薬である。
  • これが頭全体を潤し、ヒタヒタと水が浸透するように下りてきて、 両肩、両上肢、乳房、胸、肺臓、肝臓、腸、胃、背骨、尾骨まで潤すと観想する。
  • 軟酥がここまで下りてくると、すべての内臓の、
  • さらに軟酥は両下肢を温かく潤し、足の裏まで到達するとその流れは止まると観想する。
  • ちょうど、名医が香りがよく、病気にもよく効くいろいろの種類の薬剤を お湯で煎じて桶に一杯入れ、自分の両下肢をその中に漬けていると観想する。
  • 禅師いわく「この方法を何回も根気よく行えば、どんな病気でも治せないものはない。 そして立派な徳を積むことができる。さらにどんな修行でも成功しないものはない。 また、どんな事業をやっても必ず成功する。 その効果が早く現われるか、遅く現われるかは、これを行う人の熱心さいかんによるから、 一生懸命に精進せよ

 

文章で書くとイメージが湧きにくいので、youtube を見られるとよく理解できると思います。

私も療養中は痛くて動けませんでしたので、朝起きたらゆっくり座ってyoutube見ながら、瞑想して、軟酥の法をやっていました。

病気の時はネガティブな考えが、湧き上がってきますが、「軟酥の法」のお陰でほぼ完治しました。

科学万能の世の中ですが、こういう方法もあるというのを頭の片隅に入れておけば、役に立つと思います。

 

2019年 2月10日  顧問  藤田 泰志

 

人生100年時代

 

 

最近よくテレビで人生100年時代という言葉を聞くようになりましたが、その真偽はどうなのでしょう?

ある研究で人間の寿命が10年位延びる可能性が出てきたみたいです。それは「NMN」という物質でマウスの実験では明らかに寿命が延びているそうで、私も興味を持っています。マウスで寿命が延びるのであれば、犬猫たちの寿命も延びる可能性があり、研究者の目的はあくまで「ぴんぴんころり」だそうで健康で寿命を全う出来れば最高だと思います。

 

老化というのは「遺伝情報を保っているDNAがダメージを受けたり、細胞自体がストレスにやられたり、慢性炎症が体内で起こることで発生する現象」なのだそうです。 体内に異物が侵入した際、肉体の免疫システムは「炎症物質」を放出して熱・腫れ・痛みなどを起こしますが、これが「炎症」だといいます。炎症が治まった後でも炎症物質の放出が続くことがあり、これを「慢性炎症」と呼ぶそうです。「慢性炎症は血管や臓器の細胞を傷つけ、動脈硬化やがんなどを引き起こす可能性があることが最新の研究で分かってきた」そうです。

NMNは、正式名称を「ニコチナミド・モノ・ヌクレオチド」といい、「NADが生成される前の物質」なのだそうです。だから、これを補充することでNADが増え、老化を遅らせる様々な現象が起こるのだといいます。マウスへの投与実験では、「エネルギー代謝の上昇」が認められ、月齢17カ月のものが6カ月程度若返った状態になったそうです。それは人間に換算すると、「60歳前後の人が40歳くらいの機能に戻る」ようなものだといいます。

また、血中のコレステロールや中性脂肪の値も改善されるそうです。さらに、研究者が7年前に発表した研究によると、「糖尿病のマウスにNMNを投与したところ、すい臓肝臓の機能が改善した」そうです。他にも、加齢によって低下する「骨密度」「免疫細胞」「脳細胞」の増加にも効果があることが、2016年に証明されているんだとか。

 

ワシントン大学での臨床実験によって「人間にも効果がある」と証明された場合、実用化はいつ頃になるのでしょうか? 「1〜2年くらいの間」と研究者はおっしゃいました。「臨床実験の結果が今年の終わりから来年の頭ぐらいの間に分かれば、そう遠い話ではない」のだそうです。今井教授がNMNを使って延ばそうとしているのは「健康寿命」だといいます。「医療や介護に依存せず、自立した生活が送れる健康状態を持続させる」というのが、研究の目的なのだそうです。

 

もうすでにサプリメントとして発売されていますが,高価で良質なものでは、月に4万弱かかるみたいです。

 

2019年 1月10日 顧問 藤田 泰志